みなさんこんにちは!ポロンノゆるっとキャンプ略してポロキャンです!
北海道で雪中キャンプを始めて5年。底冷えで一睡もできなかった夜、薪ストーブでテント内が煙まみれになった朝、灯油をこぼして真っ青になった瞬間...数えきれないほどの失敗を重ねてきました。今でも失敗しています、正直に言うと(笑)。
寒い、重い、設営が大変、撤収もつらい。合理的に考えれば避けたい要素しかありません。なのになぜ、私は雪の日のキャンプから離れられないのでしょうか。
この記事のポイント
・雪中キャンプの「不条理」が実は心を豊かにする理由が分かる
・失敗を楽しめるようになった大人の余裕の正体を理解できる
・効率や快適さだけでは得られない、本当の幸せに気づける
それでは早速いきましょう!
雪中キャンプは、不条理の塊だ

テントが傾いている。ポールが折れた。足がべちゃべちゃだ。計画は最初の30分で崩壊する。
雪の中でのキャンプは、思い通りにならないことの連続です。丁寧に設営したつもりのタープが、夜中の風で倒れる。朝起きたら靴の中まで濡れている。天気予報は見事に外れ、吹雪になる。
日常生活なら「最悪だ」と思う出来事が、雪の中では当たり前のように起こります。
私の場合、一番印象に残っているのは、薪ストーブの煙突をうまく組み立てられずに、テント内が真っ白になった朝のことです。涙が止まらないほど煙たくて、外に飛び出したら氷点下15度。笑うしかありませんでした。
失敗を「面白さ」として受け止められるようになった
5年前の私は、キャンプでも完璧を求めていました。
設営は美しく、食事は計画通りに、就寝時間は守る。でも雪の中では、その全てが崩れ去ります。最初は腹が立ちました。なんでこんなに準備したのに、うまくいかないんだと。
でも何度も雪中キャンプを繰り返すうちに、変化が起きました。
「まあ、こういうのも悪くない」
凍えながら、その場にある道具で工夫する。計画になかった温かいスープを急遽作る。傾いたテントのまま、一晩過ごしてみる。予想外のトラブルを、「失敗」ではなく「今日の物語」として受け止められるようになったんです。
この感覚は、効率や快適さだけを追い求めていた頃には絶対に持てなかった、大人の余裕に近いものです。
不条理を楽しむ3つの視点
・計画通りにいかないことを前提に考える
・その場の道具と環境で工夫を楽しむ
・「完璧じゃなくても幸せ」と思えるか試す
雪の日だからこそのご褒美が、心に染みる
冬のキャンプ場は静かです。人が少なく、聞こえるのは雪を踏む音と、自分の吐く息の音だけ。
澄んだ空気の中で見上げる星空は、言葉を失うほど美しい。焚き火の温かさが、凍えた指先に染み込んでいく感覚。湯気の立つ鍋を前に、「ああ、生きているな」と実感する瞬間。
これらは全て、寒さと戦い、不便を受け入れた人だけが味わえるご褒美です。
特に、薪ストーブの炎をぼんやり眺める時間が私は一番好きです。揺れる炎を見ていると、日常のストレスや、合理性一辺倒の価値観が少しずつゆるんでいくのを感じます。
「なぜこんなことをしているんだろう」と苦笑しながらも、そこで得た静けさや達成感が、自分の心を確実に癒してくれるんです。
北海道では2025年はクマ出没が多く、冬まで入山を控えていました。
でももう我慢できません(笑)。
2026年1月からは雪中キャンプを再開します。
不条理を選んだ自分を、確かめに行く
毎回、何かしら想定外のことが起こります。でもそれを乗り越えて設営し、温かい食事にたどり着く体験が、小さな成功体験として積み重なっていきます。
「完璧じゃなくても楽しめる」
「不便でも幸せでいられる」
この感覚を思い出したくて、人はまた雪の日のキャンプを選ぶのかもしれません。そして、不条理を愛せるようになった自分を、確かめに行くのです。
雪の中でのキャンプは、テントの灯りや湯気の立つ鍋、ストーブの前のぬくもりに包まれたとき、「こんな不条理を選んだ自分も悪くない」と心から思えます。
体は寒さでキツい。でも心は温かい。この矛盾こそが、雪中キャンプの本質なのです。
まとめ:不条理を愛せる大人の余裕
雪中キャンプが教えてくれたこと
・計画通りにいかないことを楽しめるようになった
・効率や快適さだけが幸せではないと気づけた
・不条理な状況でも笑える自分に出会えた
雪の日のキャンプが心に刺さるのは、「わざわざ不条理な状況に身を置いて、それでも楽しめている自分」を確かめられるからです。
冬の不便さや計画通りにいかない感じを、余裕をもって受け止められたとき、人は少しだけ大人になれた気がします。
寒い、重い、大変。それでも、また行きたくなる。
この矛盾を愛せるようになったことが、私にとっての一番の成長かもしれません。
それでは皆さん、賢く『ゆるっと』豊かなアウトドアライフを!

