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羅臼岳ヒグマ襲撃事件をきっかけに振り返る|北海道140年のヒグマ軋轢史(あつれきし)

羅臼岳の事件のニュースを見て、北海道のヒグマって昔からこんなに危険だったのかな?
実は北海道のヒグマとの歴史は140年以上もあって、時代によって全然違う関係性だったんです。今回一緒に調べてみませんか?

みなさんこんにちは!ポロンノゆるっとキャンプ略してポロキャンです!

2025年8月14日、知床半島の羅臼岳で起きたヒグマによる登山者襲撃事件は、私たち北海道在住のキャンパーにとって改めてヒグマの存在を意識させる出来事でした。東京から来られた26歳の男性が犠牲になり、その後親グマ1頭と子グマ2頭が駆除されるという痛ましい結末となりました。

この事件をきっかけに、私は改めて北海道とヒグマの長い歴史について調べてみました。実は、今のヒグマ問題は突然現れたものではなく、140年以上にわたる人間とヒグマの複雑な関係の積み重ねなんです。

この記事のポイント

・明治時代から現代まで140年間のヒグマ政策の変遷が分かる

・三毛別事件など歴史的な重大事件の背景と教訓を知ることができる

・現在のヒグマ問題がなぜ深刻化しているのかの歴史的背景を理解できる

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羅臼岳のヒグマ事故についての記事はこちら

それでは早速いきましょう!

明治時代:開拓とヒグマ駆除の始まり

北海道の開拓が本格化した明治時代、ヒグマは「開拓の敵」として位置づけられていました。当時の開拓使は、ヒグマ1頭につき2円という高額な報奨金を設定しました。これは米60kgが2円50銭だった時代ですから、相当な金額です。

この政策の影響で、ヒグマと同じく北海道の象徴的な動物だったエゾオオカミは絶滅に追い込まれました。ヒグマも生息域を山間部へと大きく後退させることになったんです。

私も子供の頃、祖父から「昔は本当にヒグマが怖くて、開拓民は命がけで生活していた」という話を聞いたことがあります。当時の人々にとって、ヒグマは共存ではなく排除すべき対象だったのが現実でした。

大正時代の悲劇:三毛別羆事件が残した深い傷

三毛別事件って聞いたことがあるけど、どんな事件だったの?
1915年に北海道苫前村で起きた、日本史上最悪の獣害事件です。1頭のヒグマが数日間で7名もの命を奪いました。

大正4年(1915年)12月、苫前村三毛別六線沢で発生したこの事件は、北海道のヒグマ史において最も衝撃的な出来事です。冬眠に失敗した340kgの巨大なオスのヒグマが、開拓民の家々を襲撃し続けました。

特に痛ましかったのは、臨月の妊婦が胎児の助命を懇願しながら犠牲になったことです。このヒグマは明確に人間を食料として認識しており、遺体を雪の中に隠す「貯食行動」まで見せました。

最終的に伝説的なマタギ(猟師)の山本兵吉によって射殺されましたが、恐怖に打ちのめされた住民の多くは土地を離れ、集落は事実上廃村となりました。現在も「三毛別羆事件復元地」として整備され、私も一度訪れたことがありますが、当時の恐怖が今でも伝わってくる場所でした。

戦後の体系的管理:春グマ駆除政策の時代

昭和41年(1966年)から平成2年(1990年)まで、北海道は「春グマ駆除」という強力な個体数抑制策を実施していました。これは冬眠から目覚めたばかりのヒグマを集中的に駆除する政策で、24年間で年間捕獲数の約4割が春季に捕獲されることもありました。

この政策は極めて効果的で、ヒグマの個体数は低い水準で安定的に抑制されていました。実は私たちの世代が子供の頃、キャンプでヒグマを意識することが今ほど多くなかったのは、この政策の効果だったんです。

1990年の春グマ駆除廃止が、現在のヒグマ問題の直接的な転換点となりました。
この政策変更により、ヒグマの個体数は劇的に回復することになります。

1990年の大転換:保護政策への移行とその影響

平成2年(1990年)、北海道は春グマ駆除を廃止しました。背景には国内外での自然保護思想の高まりがあり、「駆除」から「保護管理」へという世界的なパラダイムシフトが起こっていました。

この政策転換の効果は劇的でした。北海道のヒグマ推定生息数は、1990年の中央値5,200頭から2020年には中央値11,700頭へと、30年間で2.2倍以上に増加したんです。

同時に分布域も拡大し、2003年から2018年の15年間で約1.3倍に広がりました。かつて駆除によって姿を消した地域にも再び定着し始めています。

現代の象徴的事件:福岡大学ワンダーフォーゲル部事件の教訓

登山中の事故といえば、福岡大学の事件も有名だよね?
1970年の事件ですね。これは人間側の対応がヒグマの行動をエスカレートさせた典型例として、今でも重要な教訓を残しています。

昭和45年(1970年)7月、日高山脈のカムイエクウチカウシ山で福岡大学ワンダーフォーゲル部の5名が若いメスのヒグマに追跡・襲撃され、3名が命を落としました。

この事件は三毛別事件とは全く異なり、人間側の誤った対応が悲劇を招いた事例です。学生たちは最初、ヒグマが漁ったザックを取り返してしまい、これによってヒグマに「人間=食料」という危険な学習をさせてしまいました。

また、最初の遭遇後に即座に下山する判断をせず、最後は背を向けて走ってバラバラに逃げてしまいました。射殺されたヒグマの胃からは人の肉片は発見されず、これが飢餓による襲撃ではなく、学習された所有的な攻撃であったことを示しています。

現代のヒグマ軋轢:数字で見る深刻化

近年、ヒグマとの軋轢は確実に深刻化しています。令和3年(2021年)には14名が死傷し、記録上最多となりました。令和4年(2022年)の農業被害額は2億7,100万円に達し、特に酪農の飼料となるデントコーンの被害が深刻です。

興味深いのは、被害の地理的・経済的な中心が変化していることです。古典的な「山での遭遇」に加え、現代の軋轢の主戦場は「農業フロンティア」へと移行しています。

私自身も道東でキャンプをする際、デントコーン畑の近くでは特に注意を払うようになりました。これらの畑は、ヒグマにとって巨大な餌場と化してしまっているのが現実です。

管理システムの危機:消えゆくハンターたち

現在のヒグマ管理が直面している最大の問題は、実は人間側にあります。地域の猟友会に所属するハンターの数は、ピークの1978年から約4分の1まで激減し、会員の半数以上が60歳以上という極端な高齢化が進んでいます。

残されたベテランハンターたちには過大な負担がのしかかっており、法的リスクや低い報酬という問題も深刻です。実際に、砂川市では要請に応じてヒグマを駆除したハンターが後に銃の所持許可を取り消されるという事例も発生しています。

都市部と地方の価値観の断絶

近年、都市部でヒグマが駆除されると、行政機関に数百件から数千件もの抗議が殺到する現象が起きています。これらの抗議の大半は被害地域外、多くは北海道外からのものです。

この現象は、都市部の「保護」を訴える価値観と、地方の日々の安全を求める「生存」の現実が激しく衝突していることを示しています。私たち北海道民としては、この両方の視点を理解する必要があると感じています。

まとめ:歴史から学ぶ現代への視点

羅臼岳の事件を機に北海道とヒグマの140年の歴史を振り返ってみると、現在の問題が突発的なものではないことがよく分かります。明治時代の征服、戦後の強力な抑制、1990年の保護への転換、そして現代の複雑な軋轢まで、すべてが連続した歴史の流れの中にあります。

特に重要なのは、1990年の春グマ駆除廃止が現在の状況の直接的な転換点となっていることです。この30年間でヒグマの個体数が2倍以上に増加した一方で、管理を担うハンターは4分の1まで減少してしまいました。

私たちキャンパーとしては、この歴史的背景を理解した上で、現代のヒグマと向き合っていく必要があります。過去の悲劇的な事件から学べる教訓は多く、それらを知ることで、より安全で豊かなアウトドアライフを送ることができるはずです。

今回の羅臼岳の事件も、この長い歴史の一部として位置づけ、感情的にではなく冷静に受け止めていきたいと思います。

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それでは皆さん、賢く『ゆるっと』豊かなアウトドアライフを!

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  • この記事を書いた人

ポロンノゆるっとキャンプ

略してポロキャンです! 北の大地でアウトドア歴10年超。ギア購入200万円以上、投資で300万円以上の失敗も経験し、そのリアルな体験から北海道ならではの『ゆるっと』キャンプとお金を豊かにする知恵を発信中。一眼レフカメラ初心者。 当ブログとYouTube(登録者2000人〜)が主な活動場所です。各種SNSも更新中。

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